アヴエ
平成二十九年 十一月十日 金曜日
JRの駅に着いた。ちょっと買い物をして帰る。2パック買った牛乳とカルピスが重い。2番か18番のバスに乗ろうと思っていたけど、平日最終のバスは20時28分で、いまは20時32分だった。こんなに疲れているのに、まだ歩かなきゃいけないのかと少し絶望しそうになるのをこらえる。阪急の駅まで登ってタクシーで帰ろうかな、なんて自分をなだめながら仕方なく歩き出した。向こうから歩いてくる人が道を譲らないのにイライラしつつ横にそれて、大股の早足で車道を横切りながら、やっぱり怒りという感情は悲しみよりずっとずっとマシだと思った。悲しくなってしまうともうおしまいだから。イライラしている方が全然マシで、泣きたくなってしまったら泣くしかないし、精々頑張ったとしても、だらだら声も出さずに泣いて泣いて、そうして疲れた隙に眠るくらいしか逃げ道がない。せめてイライラしていれば、怒りにずっととらわれたまま、他の感情を無視していられる。悲しみを避けるためにはそんなに悪い選択じゃない。悲しくならないというのが最も優先すべき結果、目指すべきところなのだから。今は。
商店街をだらだら登り、反対側から坂を下ってくる人をなんとなく恨みながら進んで、商店街の出口にある横断歩道に近づきながら信号が青だということに気付いて、でもこんなに疲れているのに色が変わる前に走ってそこにたどり着こうとする余裕もなくて、結局間に合わず信号は赤になった。横断歩道を渡らずに、左に曲がって進もうとしたけど、ふとヨウくんの家の前を通りたくなって、また横断歩道の前に引き返す。昨日、明日一緒に寝ようと約束したのだけど、今日の午前中に体調が悪いと連絡が来ていたから、もしかしたら今日は会えないかも知れない、と悪い想像をしていたのだった。別に会えることを期待したわけじゃない。今日本当に会えるのかどうか不安になって、家の前を通ることで錯覚的にでも彼を感じたかったのだと思う。論理的に説明なんてできなくてもいい。これは感覚的なことなんだから。
横断歩道に足を戻す。スーツの男性がいる。目が、目がというか、顔が合ってしまった。なんか知り合いにいそうな顔だ。知り合いにいそうな顔、に対して僕らははじめから親近感を持てる。だから、知り合いに似ているとよく言われる人ほどラッキーなのだとツイッターで誰かが言っていた。知り合いにいそうだし、知り合いな気がする。あ。一瞬で最高という気持ちと最悪という気持ちがぶつかって対消滅した。消滅というより中和かもしれない。中和されて、濁った塩が残った。林田くんだ。疲れすぎていてまともな反応ができず、苦笑いをして進行方向に顔を、横断歩道を渡るために二人で同じ方向を向いた。とても疲れているからうまく反応できない、とかなりどもりながら告げた。林田くんも少し戸惑っているみたいに見えた。元から友達というにはかなりぎこちない関係だと、少なくとも僕の方では思っていたけど、多分彼の方でも、残念ながら、僕はよく分からないやつの一人なんじゃないかと思う。
僕は林田くんのことが好きだった。大学一年生の頃に出会って、それからずっと好きだった。顔がきれいだったからだ。いわゆるイケメンだった。一目見たときから、絶対に仲良くなりたいと思ったのだ。落ち着いていて、やさしいところも好きだった。気が合いそうだと思った。好きだったと言っても、彼はストレートだし、いわゆる本気で好きになれたというわけではなかった。でも例えば教養の授業は彼と相談して、相談というか半分お願いして、できるだけ同じ授業を取ったし、ごはんにも一緒に行ったりしていた。家に呼んだことも何回かある。教養の授業の単位をお互いに取り終わってしまったあとも、少なくとも二ヶ月に一回くらいは会うように心がけていた。一緒に寝たりとか、そういうのは無理だと分かりきっていたんだけど、諦めが悪いから、せめて親友になれたらいいなと思って、いつも僕から誘っていた。夏にも一度、一緒に飲んだのだけど、そのときにちょっとした口喧嘩、口喧嘩というほどでもないくらいの諍いがあって以来、避けていたのだった。喧嘩をしたこと自体が嫌だったわけではない。イライラしている林田くんを見て、冷めてしまったのだ。僕の方からいつも誘っているけど、僕は林田くんに会いたいと思ってるけど、きっと彼は僕に会いたいなんてあまり思ってないだろうし、むしろデレデレしながら話しかけてくる僕のことを鬱陶しいと思っているんだろうと、下手に確信してしまったから、もう誘うのはやめにしようと決めていたのだ。きっと、こうしてあからさまに好き好きオーラを出して来られても迷惑なんだろうと思って、声をかけるのはもうやめようと思ったのだった。
彼はここら辺に住んでいるわけじゃない。わざわざここまで来た理由を聞くと、蕎麦を食べたかったからだと答えた。八時までドトールで勉強していて、そこから蕎麦屋を探してもみんな閉まってて、お昼は杵屋に行ったのだけど蕎麦は売り切れでうどんを食べて、やっぱり蕎麦が食べたくてここまで来たのだと。変なこだわりだと思った。彼にとって僕はきっと変なやつだと思うんだけど、彼も彼でわざわざ蕎麦を食べに駅ふたつ分離れたところからここまで来て、蕎麦を食べてまたあっちに帰るなんて変だと思った。変ってそういうものだと思う。つまり、ある程度は言ったもの勝ちなのだ。僕も今日あったことを彼に話した。別に話さなくても良かったのに。不必要な脚色をして話した。別になんでもないことに対して、割と怒っているような素振りで話した。怒っているひと、に笑ってほしいと思ったからだ。そんな風に怒ったふりをしながら阪急まで歩いて、改札前のエスカレーターで別れた。疲れていたし、おそらく僕には林田くんに対して抵抗したい気持ちがあって、別れの挨拶は、別れのコンタクトは二秒くらいで終わった。じゃあまた、と言ったけど、また、の部分は彼には聞こえていないかもしれない。また、という二文字にはまた会いましょうという意味が含まれている。じゃあ、とじゃあまた、はちがう。別の言葉だ。また会いたいなとか、会えたらいいなとか、また会おうねとか、そういう再会を願う気持ちは「じゃあ」にはまだ込められていない。じゃあまた、でなくて、じゃあこの辺でさよなら、なんて続くかもしれない。じゃあ、というのは単に別れを切り出すオノマトペでしかない。また会いたいなという気持ちが、僕にじゃあまた、と言わせ、もう会いたくないなという気持ちが、また、の部分のボリュームを絞らせたのだった。
僕はエスカレーターに乗った後も、駅構内のカフェにタイムセールのパンを買いに入る彼の後ろ姿を見つめていた。トレイを手に取るところまで見えた。彼のズボンの後ろポケットには財布か何か、四角いものが入っていた。
駅から家に向かって歩きながら、彼の顔を思い出した。彼の顔が、あんなに綺麗でかっこいいと思っていた彼の顔が、少し任意の顔に近づいていたように思う。あの好みの顔は、ありふれたごく一般的な男性の顔、抽選でくじを引いて、たまたま当たったような偶然の顔に見えていた。どうして一目で気付けなかったのだろう。とりわけ綺麗だと思っていたはずなのに、気持ちが冷めてしまえばこんなものなのか。会いたくないなと思っていても、やっぱり結局会いたいみたい。暖かいうちに散歩しようと誘いたいと思った。でも誘ってどうするんだろう。またぎこちない数時間を過ごして何事もなく穏やかに終わるのなら、別に会わなくてもいいのに。そういえば買ったパンはいつ食べるんだろう。蕎麦を食べた後に家に帰って、寝る前にお腹が減って食べるのか、それとも朝ごはんにするのか。もしかして、蕎麦を食べる前にパンで腹ごしらえをするのだろうか。そんなことあるわけないか。
ヨウくんからまだ返事がこない。やっぱり今日も一緒に寝れないのかもしれない。でも僕もこれだけ疲れてるから別にいいか、なんて思う。林田くんともうまくいかないし、ヨウくんともうまくいかないし、気を抜くとすぐ泣いてしまいそうだった。持っていたレジ袋が重いのが救いだった。腕にこれだけ力を入れていなければ、感情に気を取られていたと思う。もし軽ければ、すぐに泣き出していたと思う。
百文字日記 平成三十年 一月
平成三十年 一月
平成三十年 一月一日 月曜日
はじめまして、平成三十年。つなぎ目のないはずの日々の流れに、人為的に打たれる区切りのひとつがこのお正月。先述したように、我が家ではシームレスな日々が送られている。簡単に言えば、寝正月というやつだ。
平成三十年 一月二日 火曜日
猫に起こされる。元々起きていたけど、猫の鳴き声は僕を布団から出してしまうほどの力強い効果がある。あまりにさみしそうに。苦しそうに鳴いていたから、それをなんとか和らげんと遊びに付き合うものの逃げられる。
平成三十年 一月三日 水曜日
鳥取には「砂の丘」というご当地土産があり、いわゆる銘菓では(まだ)ないのだけど、コンセプトも味も気に入っている。砂丘に見立てたお菓子で、砂のようなおいしい和三盆糖にブールドネージュが埋もれている。
平成三十年 一月四日 木曜日
神戸に帰るバスを取ったのが結構ギリギリだったのだけど、もしかしてギリギリに取る方が得かもしれない。年末年始は二台運行で、遅く取ればすかすかの二台目に乗れるってわけ。ありがとう、腰の重い僕。
平成三十年 一月五日 金曜日
年が明けて間もないのに面白い授業に出て、元町映画館に『ハートストーン』を見に行って、大丸に行って何も買わず、恋人を新神戸駅に迎えに行って、インドカレー食べて帰る。おつかれ、腰の重くない日の僕。
平成三十年 一月六日 土曜日
恋人が会社の忘年会のビンゴ大会で当ててしまった自然薯を喜んで食べる。生でも、焼いても、すりおろして鍋に入れても、ごはんにかけても本当においしかった。自然薯って初めて食べたかもしれない。
平成三十年 一月七日 日曜日
学校でちょっとだけ卒論して、恋人の要望で551の蓬莱に行き、豚まんと焼売をお買い上げ。そのまま鹿鳴茶流 入舩に行く。やっぱり鹿のたたきが本当においしい、透き通るようでかつ力強いあの赤身肉。
平成三十年 一月八日 月曜日
恋人が帰る。お互いに付き合っていたい意志を再確認してほっとする。恋人は帰りのバスに乗るとき、本当にさみしそうな顔をする。心が痛い。早く一緒に住めたらいいのにと思う。未来は誰にも分からない。
平成三十年 一月九日 火曜日
提出前日なんだけど、やっと卒論にまじめに取りかかる。大変コスパよく仕上げたと思う。悪く言えばサボったということなんだけど。大半は十一月のゼミ前に仕上げていたもので、そこからあまり手を加えなかった。
平成三十年 一月十日 水曜日
『ジャン=ポール・サルトル研究』で提出しようとしたら、教務の人に「……サルトル研究ですよね?」と訊かれて、「は?」と思っていたら、登録と違うから題字変えて貼りなおせと言われて『サルトル研究』にした。
平成三十年 一月十一日 木曜日
yuriさんに淀川河川敷で写真を撮ってもらう。撮られ慣れていないので、全然ぎこちなくて、ぎこちないがゆえにさらにダサくなっていないか心配。しかし彼女のディレクションを信じて、無理難題を言っていただく。
平成三十年 一月十二日 金曜日
夜更かしがたたって、朝九時からの歯医者をすっぽかしてしまう。ご迷惑をかけて本当に申し訳ありません。しかも二限にも遅れていく。特に何もせず、センター試験前日なので構内から追い出されてしまう。
平成三十年 一月十四日 日曜日
好きな人問題というものがある。好きな人と会うときは、こちらは一緒にいるだけで気持ちよくなってしまい、相手に対してこちらが施さなければいけない奉仕を怠ってしまいがちだ。そういう問題のこと。
平成三十年 一月十六日 火曜日
就職先の先輩に面談してもらう。顔もきれいで、おしゃれで、仕事もできて、でも嫌な感じはあまりしない最高の男性で、ついでに言えば煙草も吸う。好きな人問題が起こる。かっこよすぎて、打ちのめされてしまった。
平成三十年 一月十八日 水曜日
懲りずにyuriさんとデートする。昼過ぎに合流して、甘いもの食べて、古着を見て、コーヒー飲んで、鹿肉食べて、映画を見て、帰ってお風呂に入って寝る。時間の有効な使い方を学ぶためにこうして楽しく過ごしている。
平成三十年 一月十九日 金曜日
後輩と銭湯に行く。湯船で金沢に行きたいと話していたら、目の前の三十二歳の顔立ちのきれいな男の人が話しかけてきた。いい銭湯の使い方だった。股間の毛が完全に剃られていたのが気になった。言及しそびれて残念。
平成三十年 一月二十日 土曜日
昼過ぎに布団から出たが、がんばって巻き返す。ホームセンターに行って色々なものを買った。補修材で靴底を直し、かわいい面打キャスターでりんごの木箱を可動式にする予定だ。
平成三十年 一月二十二日 月曜日
今年も占いに行ってみる。値段が千円上がっていた。けど、楽しさは減っていた。大体去年聞いたのと同じようなことを言われて、新鮮味がなかったのだと思う。占いにも新鮮さを求めるなんてわがままではなかろうか。
平成三十年 一月二十四日 水曜日
髪を切る。お気に入りの美容師さんがやはりいない。またこの人かとがっかりしたが、気分がよかったので愛想をよくする。すると、仕上がりもいつもよりましに見えた。人の間で生きるなら、愛想がいい方が得だ。
平成三十年 一月二十五日 木曜日
美術館に行ったら閉館時間。喫茶店に行ったら閉店時間。行く先々で扉を閉められ、面食らうが、歩き通し、喋り通しだったので全くめげていない。日が暮れてから代わりのお店に入り、おいしいぜんざいを食べる。
平成三十年 一月三十一日 水曜日
色々な出来事を言葉に起こすのが億劫になってくる。頭の中で絶え間なく次の言葉が生まれているのに、それを書き留める間もなく日々は過ぎ去り、いつの間にやら言葉は消える。もう思い出せないあの詩情。
母とオリーブオイル
母とオリーブオイル
僕が高校生くらいの頃に、中学生だったかもしれない、夕方くらいかな、いつものように電気をつけないままの薄暗いキッチンで、椅子に座ってパンを食べている母親を目にしたことがある。そのとき、家には僕と母親しかいなかった。僕は学校から帰ってきたところで、いつものように、ただいまのひとことも言わないまま無言で玄関のドアを開けて、そのまま当たり前に無言でリビングに入ると、あの雑然とした食卓で、母親がパンにオリーブオイルをつけながら食べていた。本当は四人掛けのはずなのに、机の上のおよそ半分が、調味料、ふりかけ、味付け海苔の瓶、ティッシュの箱等で埋め尽くされて、事実上二人掛けになってしまっている、あの雑然とした食卓で。多分、普段なら刺身醤油を入れているような小皿にオリーブオイルを入れて、そこにちぎったパンの欠片をぴとぴとつけて食べていたのだと思う。普段から、例えばバゲットとかカンパーニュとか、そういうおしゃれなパンはうちでは買っていなかったから、きっとそれは食パンだったんだと思う。和歌に登場する「花」が桜のことを意味しているのと同じように、うちで「パン」といえば普通は食パンのことを指すのだ。僕が何を食べているのか訊いたんだったか、それとも家に帰ってきた僕に母親の方から声をかけたのだったか、定かではないけど、彼女は「パンにつけるとおいしいってテレビで言ってたんだけど」と言った。僕への返答だったかもしれないし、食べ物に寄ってきた息子にひとりごとみたいに話しかけたのかもしれない。当時、オリーブオイルは我が家になじみのないものだった。というか多分いまでもそうだと思う。うちの母親は料理が特に好きというわけでもないから、油といえばサラダ油で、他にあるとすれば、せいぜいごま油くらいだった。そんな家庭だったので、オリーブオイルなんてわざわざ買わなかった。
僕はその当時、まだオリーブオイルと深く関わったことがなかったけど、本能的に、オリーブオイルに特別な味わい、例えば塩気とか甘みとか、パンに付けて分かりやすく「おいしい」と思えるような味は付いていないだろうということを知っていた。実際オリーブオイルは香りが重要で特に味なんてない。油だし。多分別においしくないだろうなと思って見ていたら、母親がこう言った。「おいしいって言ってたんだけど」そう言いながら、もそもそとパンを食べ続けていた。
うちの母親は時々かなしそうに、さみしそうにというか、遣る瀬無さそうに振る舞う時がある。それは例えばこうしてひとりごとのように話すときだったり、スーパーでお金を支払うときだったりする。遣る瀬無さそうに見せようとしてそうしているわけではないと思う。それは無意識の行為で、隣に立っている息子が、自分のそういう仕草に特別な意味を見出しているだなんて、思いもしないんじゃないかと思う。
うちは全く裕福な家庭ではないし、母親も僕も、楽観的ではあるけど多分あまり幸福な人間ではない。たとえ幸福だったとしても、それは振り返ってみた結果としての美しさで、「想い出はいつもキレイだけど」という話だと思う。少なくとも、多くの人と同じように、人生にいくつかの試練を抱えて生きてきた人間だったし、今もそうなんじゃないかなと想像できる。幸福な人間じゃないなんて言うと大袈裟だけど、生きやすいか生きにくいかで言えば、生きにくい方の人間だろう。
そのまま無言でもそもそとパンを食べ続ける母親を見て、胸がしぼむようなかなしみを得た。かなしいともつかないような、かなしいという言葉で表現するにはちょっと大仰すぎるような、取るに足りない、取るに足りない程だと思っておきたい、と言った方が正確かもしれないけど、それくらいのかなしさ、どちらかというとさみしさの方が近いのかもしれないけど、とにかくひとつの言葉に集約できないような複雑な気持ちになった。あれは何年も経った今でも、こうして深夜にふと思い出してしまうくらい衝撃的な光景だった。無知な母親が、悲しむ、とまでは言わないものの、少し肩を落とす、しょんぼりする、そんな風景が僕を置き去りにした。
でも、その後もしばらく、何本かオリーブオイルの瓶が買い足されていたのを見ると、案外気に入っていたのかもしれない。それかテレビで健康にいいと言っていたか。もしそうなら安心することができる。そうであってほしいとさえ思う。「健康にいいって言ってたんだけど……」とか、例えば気になるお腹を触りながら、数年後にぽつりとこぼすことがあったりして。ないけど。
百文字日記 平成二十九年 十二月
平成二十九年 十二月
平成二十九年 十二月一日 金曜日
師走のはじめ、早速目の前、救急車走る。せわしない、今年最後の月のはじまり。なにやらつらくて、長く感じた先月だけど、今月こそは、明るく楽しく元気よく……。素早く去って、新しい年を迎えたい。なんて。
平成二十九年 十二月二日 土曜日
平成は三十一年で終わるらしい。西暦2019年4月30日におしまい。次の日からは新しく、別の元号になるという。次の元号は何だろう。予定されてる退位に合わせて、元号の方も前もって、決定・公表するみたい。
平成二十九年 十二月四日 月曜日
歯医者に行って前歯を治す。新しい、偽物の歯の違和感覚えて、ずうっと舌でなぞって過ごす。偽物だらけの口の中、今はここだけ気になっている。日が経てば、嘘の歯だって私の一部。立派に本物然としている。
平成二十九年 十二月五日 火曜日
人生はじめてのカットモデル。無料で髪を切ってもらえてとてもうれしい。この前みたいな出来損ないのツーブロックはもう勘弁、と告げていた。今日は立派に横の髪の毛なくしてくれた。どうしてもハチが浮くのはご愛嬌。
平成二十九年 十二月七日 木曜日
りょうさんと元町の鹿鳴茶流 入舩へ。噂はすでに聞いていたけど、リーズナブルでしかもおいしい。初めて食べる鹿肉は、きめの細かい赤身肉。今度はもっと引き連れて来たい。高架下を歩いて帰る、煙草と油と他人の香水。
平成二十九年 十二月八日 金曜日
眠りの質が悪いのか、朝目覚めても、またすぐ眠り、いつまでたっても起きられず。カモミールティーを飲んでみるけど、何の変哲もない草の汁、信じることができないでいる。信じぬものは救われぬ。効き目むなしく。
平成二十九年 十二月九日 土曜日
はじめて会う人と距離を縮めて、肌が触れ合うときのたのしさ。互いのことを何も知らないまま、耳に触れるとき、あの心臓の高鳴りが、相手に聞こえていないことを信じているけど。美しき瞬間が融けている。
平成二十九年 十二月十二日 火曜日
人に会う予定がなくなって、時間を持て余したので自炊。鶏胸肉の黒胡麻いためと、牡蠣のクリーム煮でいただきます。今季初めての定番メニュー、生クリームを入れるのを忘れていたことに気がついた。勘が鈍ってる。
平成二十九年 十二月十四日 木曜日
少しとはいえ、期待していたルミナリエ、猥雑な色に文句をつける。黙り込んで消えている信号の、普段とは違う様相に見とれてしまう。眩しい光に目を背けつつ足早にスタバ。三宮磯上通店に思い出が積まれていく。
平成二十九年 十二月十五日 金曜日
東京。今日は渋谷駅で降りる。一日、東京で消耗する。帰りも渋谷駅から乗る。品川駅で食べものを買って、新幹線の中で食べながら帰る。新幹線は速すぎる。あの素晴らしい文明に、未だに飽きずに驚いている。
平成二十九年 十二月十六日 土曜日
昼から夜まで食べ歩き。お昼は幡多バルで鰹のたたき。おやつはCAKE STANDでマロンパイ。そして最後は開店したばかりのepelで色々を。同期のひとたちとおいしい時間。くだらないことで面白がる。
平成二十九年 十二月十七日 日曜日
京都でクリスマスパーティー。道中長いし、本屋によってエッセイを買う。川上美映子を探していたけど、そこには小説だけだったので、江國香織の『やわらかなレタス』を購入。食べものの話から隅々まで話が広がる。
平成二十九年 十二月十八日 月曜日
朝、寝坊して、歯医者の予約をすっぽかす。きちんと七時に目が覚めるのに、二度寝が癖になっている。あと十五分、を繰り返し、結局だらだらごろごろ眠る。要は気持ちの問題だと思う。勢いがつけば、朝、有意義に。
平成二十九日 十二月二十一日
子供の頃から泣き虫で、威圧されると途端に弱る。都会で大人に説教されて、鏡に映った顔が情けない。銀座をパトロールして帰ったら?なんて煽られて、ムカついたので銀座から離れて、美術館に行く。
平成二十九年 十二月二十三日
インターン先でいい人見つける。絶対仲良くなってやるぞ、と狙っていると、まんまと仲良くなれた幸せ。しかし今日はここらでさようなら。後ろ髪千切れるほど引かれながら、バスタ新宿へ駆け足で向かう。
平成二十九年 十二月二十五日 月曜日
夢のような日は突然に訪れる。予想もできないくらい突然に。一年いい子にしてたから、サンタさんがプレゼントをくれたのだろうか。お返しにこちらもプレゼントをあげたいくらいだ。フィンランドに行くか。
平成二十九年 十二月二十七日 水曜日
手の甲の端、人差し指の付け根の下に、小さなほくろが誕生していた。いままでなかったはずなのに、いつの間にそこに陣取ったのか。見えないとこにもきっとほくろが隠れていると、確信を持った今日この日。
平成二十九年 十二月二十八日 木曜日
ひとの生活に詩が隠れている。生きているだけで詩を生んでいる。例えば「文才」というものがなくとも、例えば「感性」というものがなくとも、日々の生き方が詩になりうると、どこかで誰かが教えてくれていたはずで。
平成二十九年 十二月二十九日 金曜日
造花から黄色い花粉が零れていました。朽ちないことが徳なのに、月日が経てばプラスチックも壊れてしまう。何億光年 輝く星にも 寿命があって、ヒトがつくったプラスチックのお花にもまた寿命があると、教えてあげる。
平成二十九年 十二月三十一日 日曜日
さようなら、二度と来ない平成二十九年。音もなく、雪も降らずに、そして特別なイベントも特別な食べ物もなく、シームレスに続いていく我が家の年の暮れ。もうちょっと盛り上がってもいいのになんて思うがしかし。
終わりゆく時代へ投げキス。平成も終わりゆく。まだ終わらないけど。
百文字日記 平成二十九年 十一月
平成二十九年 十一月
平成二十九年 十一月二日 木曜日
コンタクトレンズに朝から苛立ち。睫毛が長くて、異物の侵入を過度に拒む。あんなにか弱く、薄い装置に、てこずる大人の指三本。いらいら募ってさらに拒まれ。短気は損気。分かっちゃいるけど、うるせえやい。
平成二十九年 十一月三日 金曜日
文化の日。朝は寝坊で、午後二時からの活動開始。柔軟剤と古着屋さんと、お寿司にカラオケ。お手本のような連休初日。すべり出しはかなり上々。きちんと「消費」をした日には、財布は痩せても心が潤う。
平成二十九年 十一月四日 土曜日
雨の予報におののいて、計画変更、ガーデンズでお買い物。ユニクロで薄い緑のズボンを購入。お金があったらもっと欲しいもの増えると思う。六甲に戻り、PLUS FRESHでひと休み。レモンタルトの酸味が響く。
平成二十九年 十一月五日 日曜日
連休最後は武庫川渓谷。廃線跡をゆっくり散歩。懐中電灯片手に携え、真っ暗トンネル幾つもくぐる。今度は夏に、生気溢れる激しい緑を見てみたい。つかれた体に、西宮北口で蓬莱の肉まん。飽き足らず焼売もお土産に。
平成二十九年 十一月七日 火曜日
邑里さんと寶里さんとthink食堂。お二人は初対面にも関わらず、予想をはるかに上回る圧倒的なスムーズさ。僕から伸びる二つの線が、ここで集まり三角となる。大盛況のうちに幕を閉じ、今後の展開乞うご期待。
平成二十九年 十一月九日 木曜日
証明写真を八枚増やす。自分の顔をコピーして、人に見せるために買う不思議。できれば早めに、余ってほしい。余っても困るけど、つぎ足すのよりはマシだと思う。余った顔は記念に手帳に貼って置きます。
平成二十九年 十一月十日 金曜日
人生初のMIHOミュージアム。展示は「桃源郷はここ」。詳しい知識はないけれど、神々しいのが美しい。最近気になる来迎図、家に欲しいと常々思う。大きいポスター、販売してたら私に教えて、頼むから。
平成二十九年 十一月十一日 土曜日
野田秀樹の話をしたら、「ああ、あの髪の色が変な人?」と返ってきたので、「それは多分、志茂田景樹の間違いじゃない?」と返したら、やっぱりそうで、この反射神経を誰かにもっと褒めてほしいと感じていたよ。
平成二十九年 十一月十四日 火曜日
古本買取してもらう。二十八冊用意したけど、値が付いたのはたったの五冊。そのうち売ったのは三冊。全部で二百八十円。遠いところから来てくれたのに、持ち帰るのはたったの三冊。他のお家に期待を寄せる。
平成二十九年 十一月十五日 水曜日
とある有名広告会社、大きな大きな会社で働く広告マンの話を聞いた。役に立つかと思ったけれど、格が違うと思ってしまう。残念ながら持ち物勝負に見せ方勝負。あの人の舞台見せられただけ。負け惜しみ?
平成二十九年 十一月十六日 木曜日
朝早起きして銭湯に行く。予定があれば早く起きれる。しかも多量のお湯に浸かれる。一石二鳥とはこのことか。早起きは三文の徳、なんて言うけれど、先輩とふたり、朝から一緒に散歩しちゃって、結構贅沢な幕開け。
平成二十九年 十一月十七日 金曜日
昨日と同じく引き続き、夜は銭湯チャレンジの予定。だがしかし、バディの後輩、風邪でダウン。さみしい気持ちを抱えたまんま、銭湯あきらめ、自分の作業。暖めてくれるお湯もなく、暖めてくれる人もなく。
平成二十九年 十一月十八日 土曜日
初めての会に参加する。普段は行かぬ、ガストに行って大はしゃぎ。その後、ほいほいカラオケにも行き、歌が上手いと褒められて、調子に乗って、いっぱい歌う。もっと気の合う友達をたくさん見つける布石を打った。
平成二十九年 十一月二十日 月曜日
三時のおやつ、matocaへ向かう。邑里さんの横で、作品解説しながらケーキ。夜は一転、先輩たちと楽しいお食事。いつもお世話になっているので、黙っていられず一矢報いるかわいいパンツのお誕生日プレゼント。
平成二十九年 十一月二十一日 火曜日
コンタクトが瞳を拒む。なかなか装着できなくて、困っていると、レンズが破ける。朝から苛立ち。仕方ないなと、新しく、コンタクトレンズを棚から取り出す。この身は毎日新しいけど、レンズを変えるとさらに新しい。
平成二十九年 十一月二十三日 木曜日
四時から十時までずっとカラオケ。風邪気味だけどなんのその。のどの調子は悪くないもの。あんなに歌って、まだ飽きぬとは。面子に恵まれ、肩を揉ませて、ハモったり、ユニゾったり。いつまでも元気でいたい。
平成二十九年 十一月二十五日 土曜日
寝すぎの日。毎日毎日寝すぎているけど、今日は中でも特別寝すぎ! もう諦めて、眠っていたけど、どれだけ寝ても眠いんだから、どこかおかしくなっているんだ。色々なものが融けてゆく。失いたくないものも含めて。
平成二十九年 十一月二十九日 水曜日
工事現場の機械の音に、倍音のようなメロディーがある。言われてみれば、足元で響く足音は打楽器のような音を立てるし、体はいつもリズムを刻んで生きている。システムの中に流れる音楽。生きているもの全てが歌う。
平成二十九年 十一月三十日 木曜日
蛍光オレンジの丸が落ちている。カラーボールのようにどぎつい、オレンジの丸が落ちている。寄りて見るに、柿だと分かる。道路に転がり斑点つくるあの柿は、鳥も食べないけどおいしいのかな。果たして。
ハロウィンはとっくにおしまい。次から次へと、矢継ぎ早に日が放たれる。
百文字日記 平成二十九年 十月
平成二十九年 十月
平成二十九年 十月一日 日曜日
CAKE STANDでおやつの時間。秋のメニューはぶどうのクレープといちじくのパフェ。迷った挙句、ぶどうを選択。まあるいふくらみ、つまったぶどう。言葉を失う程おいしくて、ロゴスとパトスがせめぎ合う。
平成二十九年 十月二日 月曜日
人生初の串カツ屋。フランス人に連れてこられて、カウンター席でフランス語。リーズナブルで何でもおいしく、季節を感じるメニューもあった。その名も「はなまる串カツ製作所」。ステキな人とまた訪れたい。
平成二十九年 十月四日 水曜日
月が眩しい。周りに彩雲はべらせて、満を持してのご登場。そう本日は中秋の名月。月を見やりつつ、我々下界でもつ鍋食らう。中秋の名月の下、国産牛の小腸を食らう。月に照らされた人間の欲望のきらめき。
平成二十九年 十月十一日 水曜日
夢を見ながら干していた、夢の中での洗濯物を、取り込み忘れるという夢。今日に限って、ベランダ埋めるほど干してある、もうびしょ濡れのシャツ、ズボン。起きて安心。濡れてはいるけど、空っぽベランダがらんどう。
平成二十九年 十月二十一日 土曜日
トイレの水が逆流し、金魚がたくさん泳いでる。風呂場の方でも逆流し、金魚の色した知らない魚が、次から次へと溢れて逃げる。どうしたものかと困りつつ、豊漁を祝う心の余裕。夢でよかった。金魚のトイレはご勘弁。
平成二十九年 十月二十二日 日曜日
台風直下、隣の部屋との間にあった壁が壊れる。電線も揺れる極度の強風。この家の窓は、枠から逃げ出してしまいそう。衆議院議員選挙の投票当日に、こんなに強い台風なんて、まるで政府の陰謀か知らん。とか言って。
平成二十九年 十月二十三日 月曜日
運転免許の更新のため、運転免許試験場。どこも灰色で薄暗く、不幸のお手本といった感じで、意識的に忌むべき施設。幸い人も少なくて、高圧的な人もいなくて、いや、でも、やっぱり、時間がかかりすぎるから嫌い。
平成二十九年 十月二十六日 木曜日
邑里さんとCAKE STAND。いつものごとく、優に一時間は列に並ぶが、プルーストで大盛り上がり。無意志的記憶、視覚・聴覚の優位性への疑い等々。その後ユニクロ、ZARAにBEAMS。セーター一着ご購入。
平成二十九年 十月二十九日 日曜日
昨日の嵐過ぎ去って、人生初の鳥貴族。先輩、私、そして後輩。ぎこちないながら楽しいひと時。卒業までにもう一歩、踏み込んで仲を深めたい。いつも誰とでも足りていないのは、ご存じ、己の自己開示。
平成二十九年 十月三十日 月曜日
己の不調を思い知る。訳が分からぬ感情の動き、知らないところで心が疲弊していると気づく。気づくのが遅い、もう手遅れで、後悔はいつも高波の後。迷惑かけてしまったお詫びに、何か埋め合わせしようと誓う。
月に照らされてきらめく欲望。夜でも明るい人間の暮らし。
百文字日記 平成二十九年 九月
平成二十九日 九月
平成二十九日 九月一日 金曜日
一月は「行く」、二月は「逃げる」、三月は「去る」、そして九月は「く、来る、もう来る……!」とはよく言ったもので。葉月を弔う夏のアウトロ。葉月死すとも真夏は死せず。まだまだ殺さぬ、生け捕りにした私の日照り。
平成二十九年 九月二日 土曜日
肌の焼けた友人と白さを比べる。肌の色から暮らしが分かる。外出て駆けずり回る男と、中で黙って動かぬ男。命のリズムがこんなに違うが、性根の部分で重なっている。心のやさしい人に甘えて、私は今日も生きている。
平成二十九年 九月三日 日曜日
人生初の鳥取砂丘。砂しか無いけど、砂しか無いのがいいのだと誰かが教えてくれました。確かに砂しか無いけれど、砂しか無いのが唯一の取柄。しかしどうして、あんなに高い丘があるのか。自然の力?本当に?
平成二十九年 九月四日 月曜日
猫に未来はないのだと云う。「未来」というべき概念がそもそも調達できないそうで。我々ヒトも、未来のないまま生きていけたら。未来を感ずる間もなく今を生きていけたらよいのにな。先行するのは不安ばっかり。
平成二十九年 九月十日 日曜日
輝く色の包装紙、まあるく光る薄緑。棘のまるでないやさしい甘みに、舌に溶けゆくミントの香り。最先端の、携帯できて、食べれる幸せ。それは宝石、エメラルド。それはAndes、たかいたかい山のミントチョコ。
平成二十九年 九月十四日 木曜日
歌舞伎や能は当時のコトバを保存している? 現代のテレビやラジオや演劇は、我々とそう変わらないコトバを使うが、であればやっぱり当時も同じ。受け継いできたあの独特の喋り方、きっと昔のひとの口ぶり。
平成二十九年 九月十八日 月曜日
台風の過ぎ去ったあとの街の匂いが祝日の匂いとなったことがうれしい。何もかもを洗い流して、きれいな空気が太陽光と綯い交ぜになる。白い空気に黄色い光、二つが混ざって新品の風を私にかける。
平成二十九年 九月二十日 水曜日
制作意欲の話になって、成り行きの妙で「オイ新聞」を不意打ち披露。通りすがりにセブンイレブン、ネットプリントで即時発行。きちんとひとり一部ずつ。中身も褒められ、ひとりはしゃいだワンマン編集部。
平成二十九年 九月二十一日 木曜日
毛布にくるまり、傾斜のついた床を滑って、絵画を鑑賞する美術館。うしろから女子高生に指をさされて、頭にきたから髪を引っ張り黙らせる。架空の場所が舞台になった、夢らしい夢でお得な気持ち。
平成二十九年 九月二十四日 日曜日
コーヒーをかなり薄めて、極端なまでに薄いコーヒー。カフェイン気にして、胃腸に気づかい。味はほとんど麦茶と同じ。もはや豆茶というべきだろう。コーヒーの名をかたるには資格がないほど薄いのだから。
平成二十九年 九月二十七日 水曜日
真珠の会社の説明を聞く。仕事内容に興味はないが、調子に乗って世間話をしているうちに、実のところは一次面接だと気づく。意識せずとも色々漏れ出し、結局好かれてしまったらしい。何はともあれうれしい出逢い。
平成二十九年 九月二十八日 木曜日
一人で映画を見に行った。もうすぐ終わる、『スパイダーマン:ホームカミング』。トム・ホランドに首ったけ。ただひとつ残念なのは、スパイダーマンのスーツを着ると、あんなにかわいいお顔が隠れてしまうこと。
平成二十九年 九月二十九日 金曜日
人生初のタロット占い。芳しい結果は出なかったのだが、所詮タロット、侮る気持ちがやはりある。巷で「タロット教えます」、胡散臭いあの看板の悪いイメージが染みついている。悪い結果は占いの徳でない。
以下、九月のおまけ
まだ終わらない、終わらせない。夏の余韻、なんて言わせない。まだ響いてる真夏の景色。