アヴエ

平成二十九年 十一月十日 金曜日

 

  JRの駅に着いた。ちょっと買い物をして帰る。2パック買った牛乳とカルピスが重い。2番か18番のバスに乗ろうと思っていたけど、平日最終のバスは20時28分で、いまは20時32分だった。こんなに疲れているのに、まだ歩かなきゃいけないのかと少し絶望しそうになるのをこらえる。阪急の駅まで登ってタクシーで帰ろうかな、なんて自分をなだめながら仕方なく歩き出した。向こうから歩いてくる人が道を譲らないのにイライラしつつ横にそれて、大股の早足で車道を横切りながら、やっぱり怒りという感情は悲しみよりずっとずっとマシだと思った。悲しくなってしまうともうおしまいだから。イライラしている方が全然マシで、泣きたくなってしまったら泣くしかないし、精々頑張ったとしても、だらだら声も出さずに泣いて泣いて、そうして疲れた隙に眠るくらいしか逃げ道がない。せめてイライラしていれば、怒りにずっととらわれたまま、他の感情を無視していられる。悲しみを避けるためにはそんなに悪い選択じゃない。悲しくならないというのが最も優先すべき結果、目指すべきところなのだから。今は。

 

  商店街をだらだら登り、反対側から坂を下ってくる人をなんとなく恨みながら進んで、商店街の出口にある横断歩道に近づきながら信号が青だということに気付いて、でもこんなに疲れているのに色が変わる前に走ってそこにたどり着こうとする余裕もなくて、結局間に合わず信号は赤になった。横断歩道を渡らずに、左に曲がって進もうとしたけど、ふとヨウくんの家の前を通りたくなって、また横断歩道の前に引き返す。昨日、明日一緒に寝ようと約束したのだけど、今日の午前中に体調が悪いと連絡が来ていたから、もしかしたら今日は会えないかも知れない、と悪い想像をしていたのだった。別に会えることを期待したわけじゃない。今日本当に会えるのかどうか不安になって、家の前を通ることで錯覚的にでも彼を感じたかったのだと思う。論理的に説明なんてできなくてもいい。これは感覚的なことなんだから。

 

  横断歩道に足を戻す。スーツの男性がいる。目が、目がというか、顔が合ってしまった。なんか知り合いにいそうな顔だ。知り合いにいそうな顔、に対して僕らははじめから親近感を持てる。だから、知り合いに似ているとよく言われる人ほどラッキーなのだとツイッターで誰かが言っていた。知り合いにいそうだし、知り合いな気がする。あ。一瞬で最高という気持ちと最悪という気持ちがぶつかって対消滅した。消滅というより中和かもしれない。中和されて、濁った塩が残った。林田くんだ。疲れすぎていてまともな反応ができず、苦笑いをして進行方向に顔を、横断歩道を渡るために二人で同じ方向を向いた。とても疲れているからうまく反応できない、とかなりどもりながら告げた。林田くんも少し戸惑っているみたいに見えた。元から友達というにはかなりぎこちない関係だと、少なくとも僕の方では思っていたけど、多分彼の方でも、残念ながら、僕はよく分からないやつの一人なんじゃないかと思う。

 

  僕は林田くんのことが好きだった。大学一年生の頃に出会って、それからずっと好きだった。顔がきれいだったからだ。いわゆるイケメンだった。一目見たときから、絶対に仲良くなりたいと思ったのだ。落ち着いていて、やさしいところも好きだった。気が合いそうだと思った。好きだったと言っても、彼はストレートだし、いわゆる本気で好きになれたというわけではなかった。でも例えば教養の授業は彼と相談して、相談というか半分お願いして、できるだけ同じ授業を取ったし、ごはんにも一緒に行ったりしていた。家に呼んだことも何回かある。教養の授業の単位をお互いに取り終わってしまったあとも、少なくとも二ヶ月に一回くらいは会うように心がけていた。一緒に寝たりとか、そういうのは無理だと分かりきっていたんだけど、諦めが悪いから、せめて親友になれたらいいなと思って、いつも僕から誘っていた。夏にも一度、一緒に飲んだのだけど、そのときにちょっとした口喧嘩、口喧嘩というほどでもないくらいの諍いがあって以来、避けていたのだった。喧嘩をしたこと自体が嫌だったわけではない。イライラしている林田くんを見て、冷めてしまったのだ。僕の方からいつも誘っているけど、僕は林田くんに会いたいと思ってるけど、きっと彼は僕に会いたいなんてあまり思ってないだろうし、むしろデレデレしながら話しかけてくる僕のことを鬱陶しいと思っているんだろうと、下手に確信してしまったから、もう誘うのはやめにしようと決めていたのだ。きっと、こうしてあからさまに好き好きオーラを出して来られても迷惑なんだろうと思って、声をかけるのはもうやめようと思ったのだった。

 

  彼はここら辺に住んでいるわけじゃない。わざわざここまで来た理由を聞くと、蕎麦を食べたかったからだと答えた。八時までドトールで勉強していて、そこから蕎麦屋を探してもみんな閉まってて、お昼は杵屋に行ったのだけど蕎麦は売り切れでうどんを食べて、やっぱり蕎麦が食べたくてここまで来たのだと。変なこだわりだと思った。彼にとって僕はきっと変なやつだと思うんだけど、彼も彼でわざわざ蕎麦を食べに駅ふたつ分離れたところからここまで来て、蕎麦を食べてまたあっちに帰るなんて変だと思った。変ってそういうものだと思う。つまり、ある程度は言ったもの勝ちなのだ。僕も今日あったことを彼に話した。別に話さなくても良かったのに。不必要な脚色をして話した。別になんでもないことに対して、割と怒っているような素振りで話した。怒っているひと、に笑ってほしいと思ったからだ。そんな風に怒ったふりをしながら阪急まで歩いて、改札前のエスカレーターで別れた。疲れていたし、おそらく僕には林田くんに対して抵抗したい気持ちがあって、別れの挨拶は、別れのコンタクトは二秒くらいで終わった。じゃあまた、と言ったけど、また、の部分は彼には聞こえていないかもしれない。また、という二文字にはまた会いましょうという意味が含まれている。じゃあ、とじゃあまた、はちがう。別の言葉だ。また会いたいなとか、会えたらいいなとか、また会おうねとか、そういう再会を願う気持ちは「じゃあ」にはまだ込められていない。じゃあまた、でなくて、じゃあこの辺でさよなら、なんて続くかもしれない。じゃあ、というのは単に別れを切り出すオノマトペでしかない。また会いたいなという気持ちが、僕にじゃあまた、と言わせ、もう会いたくないなという気持ちが、また、の部分のボリュームを絞らせたのだった。

 

  僕はエスカレーターに乗った後も、駅構内のカフェにタイムセールのパンを買いに入る彼の後ろ姿を見つめていた。トレイを手に取るところまで見えた。彼のズボンの後ろポケットには財布か何か、四角いものが入っていた。

 

  駅から家に向かって歩きながら、彼の顔を思い出した。彼の顔が、あんなに綺麗でかっこいいと思っていた彼の顔が、少し任意の顔に近づいていたように思う。あの好みの顔は、ありふれたごく一般的な男性の顔、抽選でくじを引いて、たまたま当たったような偶然の顔に見えていた。どうして一目で気付けなかったのだろう。とりわけ綺麗だと思っていたはずなのに、気持ちが冷めてしまえばこんなものなのか。会いたくないなと思っていても、やっぱり結局会いたいみたい。暖かいうちに散歩しようと誘いたいと思った。でも誘ってどうするんだろう。またぎこちない数時間を過ごして何事もなく穏やかに終わるのなら、別に会わなくてもいいのに。そういえば買ったパンはいつ食べるんだろう。蕎麦を食べた後に家に帰って、寝る前にお腹が減って食べるのか、それとも朝ごはんにするのか。もしかして、蕎麦を食べる前にパンで腹ごしらえをするのだろうか。そんなことあるわけないか。

 

  ヨウくんからまだ返事がこない。やっぱり今日も一緒に寝れないのかもしれない。でも僕もこれだけ疲れてるから別にいいか、なんて思う。林田くんともうまくいかないし、ヨウくんともうまくいかないし、気を抜くとすぐ泣いてしまいそうだった。持っていたレジ袋が重いのが救いだった。腕にこれだけ力を入れていなければ、感情に気を取られていたと思う。もし軽ければ、すぐに泣き出していたと思う。