百文字日記 平成二十九年 九月
平成二十九日 九月
平成二十九日 九月一日 金曜日
一月は「行く」、二月は「逃げる」、三月は「去る」、そして九月は「く、来る、もう来る……!」とはよく言ったもので。葉月を弔う夏のアウトロ。葉月死すとも真夏は死せず。まだまだ殺さぬ、生け捕りにした私の日照り。
平成二十九年 九月二日 土曜日
肌の焼けた友人と白さを比べる。肌の色から暮らしが分かる。外出て駆けずり回る男と、中で黙って動かぬ男。命のリズムがこんなに違うが、性根の部分で重なっている。心のやさしい人に甘えて、私は今日も生きている。
平成二十九年 九月三日 日曜日
人生初の鳥取砂丘。砂しか無いけど、砂しか無いのがいいのだと誰かが教えてくれました。確かに砂しか無いけれど、砂しか無いのが唯一の取柄。しかしどうして、あんなに高い丘があるのか。自然の力?本当に?
平成二十九年 九月四日 月曜日
猫に未来はないのだと云う。「未来」というべき概念がそもそも調達できないそうで。我々ヒトも、未来のないまま生きていけたら。未来を感ずる間もなく今を生きていけたらよいのにな。先行するのは不安ばっかり。
平成二十九年 九月十日 日曜日
輝く色の包装紙、まあるく光る薄緑。棘のまるでないやさしい甘みに、舌に溶けゆくミントの香り。最先端の、携帯できて、食べれる幸せ。それは宝石、エメラルド。それはAndes、たかいたかい山のミントチョコ。
平成二十九年 九月十四日 木曜日
歌舞伎や能は当時のコトバを保存している? 現代のテレビやラジオや演劇は、我々とそう変わらないコトバを使うが、であればやっぱり当時も同じ。受け継いできたあの独特の喋り方、きっと昔のひとの口ぶり。
平成二十九年 九月十八日 月曜日
台風の過ぎ去ったあとの街の匂いが祝日の匂いとなったことがうれしい。何もかもを洗い流して、きれいな空気が太陽光と綯い交ぜになる。白い空気に黄色い光、二つが混ざって新品の風を私にかける。
平成二十九年 九月二十日 水曜日
制作意欲の話になって、成り行きの妙で「オイ新聞」を不意打ち披露。通りすがりにセブンイレブン、ネットプリントで即時発行。きちんとひとり一部ずつ。中身も褒められ、ひとりはしゃいだワンマン編集部。
平成二十九年 九月二十一日 木曜日
毛布にくるまり、傾斜のついた床を滑って、絵画を鑑賞する美術館。うしろから女子高生に指をさされて、頭にきたから髪を引っ張り黙らせる。架空の場所が舞台になった、夢らしい夢でお得な気持ち。
平成二十九年 九月二十四日 日曜日
コーヒーをかなり薄めて、極端なまでに薄いコーヒー。カフェイン気にして、胃腸に気づかい。味はほとんど麦茶と同じ。もはや豆茶というべきだろう。コーヒーの名をかたるには資格がないほど薄いのだから。
平成二十九年 九月二十七日 水曜日
真珠の会社の説明を聞く。仕事内容に興味はないが、調子に乗って世間話をしているうちに、実のところは一次面接だと気づく。意識せずとも色々漏れ出し、結局好かれてしまったらしい。何はともあれうれしい出逢い。
平成二十九年 九月二十八日 木曜日
一人で映画を見に行った。もうすぐ終わる、『スパイダーマン:ホームカミング』。トム・ホランドに首ったけ。ただひとつ残念なのは、スパイダーマンのスーツを着ると、あんなにかわいいお顔が隠れてしまうこと。
平成二十九年 九月二十九日 金曜日
人生初のタロット占い。芳しい結果は出なかったのだが、所詮タロット、侮る気持ちがやはりある。巷で「タロット教えます」、胡散臭いあの看板の悪いイメージが染みついている。悪い結果は占いの徳でない。
以下、九月のおまけ
まだ終わらない、終わらせない。夏の余韻、なんて言わせない。まだ響いてる真夏の景色。