百文字日記 平成二十九年 十二月
平成二十九年 十二月
平成二十九年 十二月一日 金曜日
師走のはじめ、早速目の前、救急車走る。せわしない、今年最後の月のはじまり。なにやらつらくて、長く感じた先月だけど、今月こそは、明るく楽しく元気よく……。素早く去って、新しい年を迎えたい。なんて。
平成二十九年 十二月二日 土曜日
平成は三十一年で終わるらしい。西暦2019年4月30日におしまい。次の日からは新しく、別の元号になるという。次の元号は何だろう。予定されてる退位に合わせて、元号の方も前もって、決定・公表するみたい。
平成二十九年 十二月四日 月曜日
歯医者に行って前歯を治す。新しい、偽物の歯の違和感覚えて、ずうっと舌でなぞって過ごす。偽物だらけの口の中、今はここだけ気になっている。日が経てば、嘘の歯だって私の一部。立派に本物然としている。
平成二十九年 十二月五日 火曜日
人生はじめてのカットモデル。無料で髪を切ってもらえてとてもうれしい。この前みたいな出来損ないのツーブロックはもう勘弁、と告げていた。今日は立派に横の髪の毛なくしてくれた。どうしてもハチが浮くのはご愛嬌。
平成二十九年 十二月七日 木曜日
りょうさんと元町の鹿鳴茶流 入舩へ。噂はすでに聞いていたけど、リーズナブルでしかもおいしい。初めて食べる鹿肉は、きめの細かい赤身肉。今度はもっと引き連れて来たい。高架下を歩いて帰る、煙草と油と他人の香水。
平成二十九年 十二月八日 金曜日
眠りの質が悪いのか、朝目覚めても、またすぐ眠り、いつまでたっても起きられず。カモミールティーを飲んでみるけど、何の変哲もない草の汁、信じることができないでいる。信じぬものは救われぬ。効き目むなしく。
平成二十九年 十二月九日 土曜日
はじめて会う人と距離を縮めて、肌が触れ合うときのたのしさ。互いのことを何も知らないまま、耳に触れるとき、あの心臓の高鳴りが、相手に聞こえていないことを信じているけど。美しき瞬間が融けている。
平成二十九年 十二月十二日 火曜日
人に会う予定がなくなって、時間を持て余したので自炊。鶏胸肉の黒胡麻いためと、牡蠣のクリーム煮でいただきます。今季初めての定番メニュー、生クリームを入れるのを忘れていたことに気がついた。勘が鈍ってる。
平成二十九年 十二月十四日 木曜日
少しとはいえ、期待していたルミナリエ、猥雑な色に文句をつける。黙り込んで消えている信号の、普段とは違う様相に見とれてしまう。眩しい光に目を背けつつ足早にスタバ。三宮磯上通店に思い出が積まれていく。
平成二十九年 十二月十五日 金曜日
東京。今日は渋谷駅で降りる。一日、東京で消耗する。帰りも渋谷駅から乗る。品川駅で食べものを買って、新幹線の中で食べながら帰る。新幹線は速すぎる。あの素晴らしい文明に、未だに飽きずに驚いている。
平成二十九年 十二月十六日 土曜日
昼から夜まで食べ歩き。お昼は幡多バルで鰹のたたき。おやつはCAKE STANDでマロンパイ。そして最後は開店したばかりのepelで色々を。同期のひとたちとおいしい時間。くだらないことで面白がる。
平成二十九年 十二月十七日 日曜日
京都でクリスマスパーティー。道中長いし、本屋によってエッセイを買う。川上美映子を探していたけど、そこには小説だけだったので、江國香織の『やわらかなレタス』を購入。食べものの話から隅々まで話が広がる。
平成二十九年 十二月十八日 月曜日
朝、寝坊して、歯医者の予約をすっぽかす。きちんと七時に目が覚めるのに、二度寝が癖になっている。あと十五分、を繰り返し、結局だらだらごろごろ眠る。要は気持ちの問題だと思う。勢いがつけば、朝、有意義に。
平成二十九日 十二月二十一日
子供の頃から泣き虫で、威圧されると途端に弱る。都会で大人に説教されて、鏡に映った顔が情けない。銀座をパトロールして帰ったら?なんて煽られて、ムカついたので銀座から離れて、美術館に行く。
平成二十九年 十二月二十三日
インターン先でいい人見つける。絶対仲良くなってやるぞ、と狙っていると、まんまと仲良くなれた幸せ。しかし今日はここらでさようなら。後ろ髪千切れるほど引かれながら、バスタ新宿へ駆け足で向かう。
平成二十九年 十二月二十五日 月曜日
夢のような日は突然に訪れる。予想もできないくらい突然に。一年いい子にしてたから、サンタさんがプレゼントをくれたのだろうか。お返しにこちらもプレゼントをあげたいくらいだ。フィンランドに行くか。
平成二十九年 十二月二十七日 水曜日
手の甲の端、人差し指の付け根の下に、小さなほくろが誕生していた。いままでなかったはずなのに、いつの間にそこに陣取ったのか。見えないとこにもきっとほくろが隠れていると、確信を持った今日この日。
平成二十九年 十二月二十八日 木曜日
ひとの生活に詩が隠れている。生きているだけで詩を生んでいる。例えば「文才」というものがなくとも、例えば「感性」というものがなくとも、日々の生き方が詩になりうると、どこかで誰かが教えてくれていたはずで。
平成二十九年 十二月二十九日 金曜日
造花から黄色い花粉が零れていました。朽ちないことが徳なのに、月日が経てばプラスチックも壊れてしまう。何億光年 輝く星にも 寿命があって、ヒトがつくったプラスチックのお花にもまた寿命があると、教えてあげる。
平成二十九年 十二月三十一日 日曜日
さようなら、二度と来ない平成二十九年。音もなく、雪も降らずに、そして特別なイベントも特別な食べ物もなく、シームレスに続いていく我が家の年の暮れ。もうちょっと盛り上がってもいいのになんて思うがしかし。
終わりゆく時代へ投げキス。平成も終わりゆく。まだ終わらないけど。