百文字日記 平成二十九年 八月
平成二十九年 八月
八月はいよいよ夏真っ盛りと言う感じで非常に好き。
平成二十九年 八月一日 火曜日
ボロ着屋さんで、きれいな布をお買い上げ。てらてら光る異国情緒の溢れる布と、黒地に小さな西瓜を散らした大きい布を。何に使うか知らないけれど、きれいな布は、きれいというだけで意味がある。
平成二十九年 八月二日 水曜日
もうすでに、ひぐらしがなく八月二日。昔の暦と今の暦じゃ、季節の感覚まるきり違う。これからどんどんズレていくだろうこの感覚は、一体どこで帳尻合わせをするのだろう。ズレっ放しで進むのかなあ。
平成二十九年 八月三日 木曜日
某後輩と初めて二人で外におやつを。今夏二回目の monto table。お昼のコースは丁寧で、値段相応の味わいあるが、カフェタイムのデザート類は、見た目は確かに可愛いけれど、比較的あまりパッとせず。
平成二十九年 八月五日 土曜日
大学の非常階段から見やる、悠々自適な花火大会。人混みなんて無縁だし、思ってたよりもよく見える。数年前に見たのより、大きく見えるのはどうしてだろう。インドア派にはVR花火大会の開発待たれる。
平成二十九年 八月七日 月曜日
某先輩方と福島の中国菜OILにて乾杯。よだれ鶏なるものを初めて食べたが、あんなに花椒と油にまみれた代物とは知らず。名前からもっと瑞々しいものを想像していた。追って注文、白米なしでは勿体ない。
平成二十九年 八月八日 火曜日
部屋が暑くて、気を付けていても防げぬ小蠅。ゴミ出し済ませて、床掃除して、それだけでは飽き足らず、空間まるごと「きれい」にしよう、と線香三本まとめて焚いた。煙に追われて逃げ出せ小蠅。
平成二十九年 八月九日 水曜日
素敵な先輩方といざ尋常にお食事。折角主席だらけのセッティングだったのに、遅刻由来の悪い席順も相まって、何も面白いことが言えず意気消沈。挙句の果てに、よく分からないお説教まで受ける始末。気分が悪い。
平成二十九年 八月十日 木曜日
注文していた指輪が届く。ひとつは銀で、もう片方は真鍮の芯に金メッキ。金は右手に、銀は左手に。さすがの貫禄、イオン化傾向低い金属、全く錆びる気配がない。毎日ぴかぴか、サイズもぴったり、光ってうれしい。
平成二九年 八月十三日 日曜日
人生二度目のthink食堂。ポテトサラダの祝祭性。アーモンドの濃さ・チーズの香り・ディルの緑がほとばしり、それらはまるでお囃子のように私の心を掻きたてる。パレード的な、お祭り的なポテトサラダ。
平成二十九年 八月十五日 火曜日
三宮中華「意縁」で乾杯。先の印象と中身が違うと言われても、はじめから明け透けな不用心じゃなく、分からないのが当たり前。もっとも好意があれば別だが。皆まで言うまい。つまりはそういうことなので。
平成二十九年 八月二十三日 水曜日
iPhoneの天気予報を信じ込み、傘を携えて出歩いたのだが、結局開かずじまいで帰る。腹立たしいので、明日の天気を確認してから大学に傘を置き去りにしよう。傘を持ち運ぶことへのボイコット。
平成二十九年 八月二十四日 木曜日
日が照りつける真夏の天気。東の次は、西本願寺にお参り。丁度よく、若い僧侶がお寺の説明。入って左の御影堂、七百畳もあるという。確かに広いと思ったが、東大寺に次ぐ巨大木造建築らしい。南無阿弥陀仏。
平成二十九年 八月二十七日 日曜日
ポストを開けると、當麻寺から御朱印帳。黒地に光る曼荼羅がきれい。まだ新しく、金色剥がれてキラキラ手に付く。うれしさ募って、居ても立っても居られない。早く行かなきゃ、集印に。次に目指すは高台寺。
平成二十九年 八月二十八日 月曜日
詰めの甘さを思い知る。終わるべきものが終わらぬ不安。これからも続くこの苦しみは一体いつ落ち着くのだろう。あるいは落ち着くことなどないのか。これからの身の振り方を今一度、腰を落ち着けて考えなければ。
平成二十九年 八月二十九日 火曜日
ある人が遠く離れた場所で王将。レバニラ炒めと餃子を勧める。ひとりではやはり食べきれなかったと云う。ごはんを残したことを謝り、悔やむ、お茶目ながらも誠実なその姿に心を落ち着けている。
平成二十九年 八月三十日 水曜日
今日は涼しい。昼寝をするにはいい季節。アパートの庭に、ドアの開いた大きな車。子供がふたり、チャイルドシートに包まれている。吹き抜ける風が子供を揺らし、母親たちは涼しい木陰で談笑している。
平成二十九年 八月三十一日 木曜日
眠れぬ夜のお出ましだ。眠る前から興奮し通し。布団に入るも、興奮したまま。結局起きてもう一度。不用心だが、何もつけずに潜り込み、汗びっしょりでまた寝転んで。結局ほとんど寝れぬまま、電車に乗って遠出する。
夏だから映える人が居る。暑さの利いた記憶のおみやげ、いつまでもつか。